推し被りとピンチケオタクの話
推し被り敵視!でお馴染みコジコジです。
暇すぎてHIKAKINと小池百合子都知事の対談の動画、全部見ました。
小池百合子さんって、巷では色々と言われてますよね。
でも、HIKAKINと喋ってるところを見る限り、若者のためにわかりやすい言葉でコロナを解説していて、見た目も話し方も好感が持てました。
というか、そもそもめちゃくちゃ美人ですよね。
今日は推し被り敵視についてのお話です。
皆さんは、推し被りのオタクについてどう思いますか?
僕は気になると言えば気になるし、気にならないと言えば気になりません。
聞いといてなんやねんって感じですけど、本当にそんな感じです。
メイドカフェに行っている時は、完全に自分と推しメンだけの世界に入り込んでいるので、いちいち周りのことは気になりません。
推し被りのオタクがどんな人かも全く把握してません。
でも、メイドカフェにいる間は気にならなくても、Twitterで推し被りと推しの仲睦まじそうなチェキ画像が回ってくると、少しイラッとします。
あと、ガチ恋特有のアレなんですけど、このオタクの方が推しメンに気に入られてるなぁっていうのが、Twitterから何となく伝わることもあります。
なので、さっきの質問の答えは、実際にご帰宅している時は気にならないけど、在宅でTwitterパトロールしていると気になるって感じです。
まあ、わざわざ推し被りの名前を覚えたり、Twitterのプロフィールに飛んだりはしてません。
あくまで、「フォローしてないのにこの推し被りオタクのツイートよくまわってくるなぁ」って思う程度です。
でも、推し被り敵視するオタクの気持ちは痛いほどわかります。
僕が割と自分の世界に入り込むタイプのオタク(なんやねんそれ)なのであまり気になりませんが、確かに推しがイケメンオタクとゼロ距離でチェキを撮っていたり、イケメンオタクと無銭で話す時間が長いと萎えます。
メイドに対してコンプライアンスギリギリの卑猥な言葉をリプライで送っているオタク、そしてそれに満更でもなく返信する推しメン、こういうのを見ていると推す気が失せます。
TwitterのbioにLINEのURLを貼っているタイプの若いホスト崩れみたいなオタクが推しにがっついていると殴りたくなります。
ん〜、そう考えると、僕も割と推し被り敵視&ピンチケ撲滅派タイプのオタクなのかもしれないですね、推し被りしたくないオタクの特徴を列挙しただけでなんだかイライラしてきました。
今列挙した、所謂ピンチケオタクみたいなのが推し被りにいると、推し被り敵視タイプのオタクは萎えて他界する確率が高まります。(コジコジ調べ)
ほとんどのオタクは推し被り敵視タイプのオタクなので、ピンチケ繋がり厨みたいなオタクに推されているメイドは、そのピンチケとの距離感を考えて接した方がいいと思います、オタク減少に繋がりかねないので。
でも、大体のメイドは、おっさんオタクや陰キャオタクよりも、イケイケなピンチケオタクの方が好きみたいです。
そりゃそうですよね。
Twitterでよく流出してるアイドルとオタクの繋がり情報も、推し被りしたくないようなしょうもないピンチケオタクとの繋がりがほとんどです。
メイドカフェにはメイドと、イケイケピンチケオタクと、おっさんor陰キャオタクの3種類の登場人物が存在します。
メイドとイケイケピンチケオタクは相思相愛で、蚊帳の外にいるのはおっさんor陰キャオタクだけです。
世間一般の人たちが秋葉原の主要人物だと思っているおっさんor陰キャオタクは、メイドカフェ内で起こる人間関係の場外にいるのです。
このブログを書きながら、僕は決意したことがあります。
それは“推し被りのイケイケピンチケオタクを全員倒すこと”です。
ブログを書きながら、僕の中でのオタク闘争心は爆発寸前です。
このブログを見ているおっさんor陰キャオタクも、きっとこの思いに共感してくれているはずです。
推し被り敵視の話から、ピンチケ撲滅の話まで話が飛躍してしまいました、すみません。
今後は一貫性のある内容を意識してブログを書こうと思います。
決戦の日は近い、僕たちがまた秋葉原の主役になるんだ__________
おしまい。
よくTwitterで見るオタクの話
最近人と話してなさすぎてなんか変なテンションで自己紹介してしまいました。
皆さん元気ですか?
コロナで自宅謹慎を余儀なくされていると思うんですけど、こういう時に趣味がないときついですよね。
僕は生まれて初めてワンピースを読み始めたんですが、空島編?というところで飽きました。
ワンピースは、ちゃんと読むと面白いんですけど1エピソードが長すぎて、途中で読むのがだるくなります。
優秀だけど話が長すぎて内定貰えない就活生みたいですね。
前置きもこの辺にして、今日はメイドカフェについてブログを書こうと思います。
皆さんお待ちかねですね。
と言っても特にテーマは決めてないので、適当に僕が日々メイドカフェについて思っていることをダラダラと書いていきます。
最近はあんまり頻繁にメイドカフェに行ってないのでアレなんですけど、結構密に通っていた時は知らないメイドさんによく「Twitterよく見てます笑」って話しかけられてました。
なんかこういうこと書くと図に乗るな!って思われると思いますが、この“Twitterで見た事ある”をキッカケにしたメイドとの会話、あんまり好きじゃないんですよね。
もちろん、実際にメイドカフェで会う前から僕がフォローしていてたまにファボしていたメイドさんから「Twitterでいつもいいねしてくれる人ですよね!」と言われるのは全然いいんですけど(むしろ会ったことないのにいいねばっかりしてすみません)、全く知らないメイドさんにTwitterの話をされると少し引いてしまいます。
自分は相手のことを知らないけど相手は自分のことを知っているという状況が気味悪くて話しづらいっていうのもあるんですけど、原因は別にあるのかなって思います。
僕って、メイドさんにも大人気!みたいな体でいつもツイートしてるんですけど、実はメイドさんからいいねもらうことってほとんどないんですよ。
だから僕のツイートが全く見ず知らずのメイドに届くことなんてほぼないんですよね。
ここで名前は出しませんが、某有名コンカフェツイッタラーとかのツイートって、オタクだけじゃなくてメイドからの支持も集めているので、フォローしていなくてもメイドさんのタイムラインにバンバン流れてくるんですよ。
でも僕は結構コンプライアンスに反するすれすれのツイートが多いので、オタクにいいねされてもメイドからはいいねされませんし、当然メイドのタイムラインにも流れません。
なのに、突然「Twitter見たことあります」なんて言われたら不信感しかないです。
ここから先はブログで書くのも嫌なのでぼやかしますが、たぶんあまり良くない経緯で僕のTwitterを知って、その事を言っているんだと思います。
なので初対面のメイドに僕のTwitterのことでガツガツ来られると、(あぁ、この人もそっち側の人なんだ……)と思って引いてしまいます。
ぼやかしすぎてちゃんとメイドカフェに関わってる人にしか伝わらない内容になってしまいましたが、直接聞いてくれたら詳細は話します。w
あ、でも「前からプライベート垢でフォローしてました」って話しかけてくれたり、Twitterの話にしても「Twitterでやばいこと言ってるのに全然陰キャじゃん!」とか一発目からかましてくるメイドは結構好きです。
オタクの心理って難しいですね。
なんかこういう時期なので楽しい話をしようと思ってたんですけど、どんどん話が暗い感じになってしまいましたねぇ。
本当にコロナで暇なのでまた明日あたりブログ書こうと思います。
ガチ恋オタクをボコボコにするブログを早く書きたい、その思いだけで僕は今生きています。
メイドカフェオタク卒業するので彼女が欲しい話
こんにちは、コジコジです。
あけましておめでとうございます。
三賀日も終わり、正月の喧騒も一息ついた土曜日の午後、皆さんいかがお過ごしでしょうか?
天気もいいのでピクニック、いいですね〜。
僕は年末年始の連勤で疲れすぎて外に出る気力もないので、自分の部屋にこもってネットショッピングです。
いつも同じ服を着ていると言われがちなので、そろそろ新しい服を買おうと思います。
まあ昼から外に出てもよかったんですが、外に出ても何もすることも無いので、今日はずっと家にいます。
半年くらい前の僕だったら、こんな気持ちのいい天気の日は、秋葉原にある某メイドカフェに意気揚々と赴いていました。
ですが最近はメイドカフェに対する熱意も失せつつあります。
わざわざ自宅から電車で1時間近くかけて秋葉原まで行き、入店まで1時間以上列に並び、やっとたどり着いた推しメンとの5分程の会話のために2000円ほど払うのがとてもストレスに感じるようになってしまったのです。
普段Twitterで“メイドカフェの魅力をお伝えします!!”みたいなテンションで呟いていますが、実質最近の熱意はこんなもんです。
考えてみればこの一年半くらい、メイドカフェのために多くのことを犠牲にしてきたなぁと思います。
推しメンに集中したいために当時の彼女と別れたこともあります。
でも、別にメイドカフェに通っていたから、それ以外の生活が疎かになっていたという訳ではありません。
当時の僕は今考えても“メイドカフェオタク”と“イキリ大学生”という二足のわらじを上手く両立していたと思います。
推しメンのことはマジで好きだったし、でもそれに引きづられすぎず大学つながりの人とそこそこヤれていたし。
親しい友達には、コンプラで話せないメイドとのあれこれをたくさん話してきましたが、それはただのオタクとしてのコジコジではなく、多少イケ男であるコジコジの一面を強調するエピソードとして活かされていたと思います。
順風満帆なオタク大学生ライフを送っていた僕ですが、必ずそんな生活も終わりは来ます。
今思うと、もう既に半年前くらいの僕は純粋にメイドカフェには通えなくなっていたと思います。
その頃何があったかは記憶から消したのでよく覚えていないし、実際小さな出来事の積み重ねだったと思うので、明確な要因はありませんが(まあいつか折り合いが着いたら話します)、某メイドカフェに通い始めた頃のどうしても止めることができない衝動がなくなっていました。
なので、推しメンのために全通するとか、朝から晩まで通いつめるとか、そういう目に見える愛を表現することが出来ないようになりました。
そうすると、段々通う頻度も落ちていき、自分では「趣味としてはこのくらいのペースがいいのかなぁ」などと思っていましたが、今では本当に全然行かなくなっています。
こうしてオタクというアイデンティティを失いつつあるコジコジは、今後人生をどう打開していけばよいのでしょう。
コジコジ=オタクとまでは行きませんが、やっぱり初対面の相手にメイドカフェが好きということを伝えると、個性としてオタクという烙印を押されがちです。(僕の顔がオタク顔というのもありますが。)
そうすると、なかなか女性と付き合うチャンスが少なくなっていきます。
メイドカフェに通い始めてから現在まで、何人かと付き合いましたが、僕がめちゃんこメイドカフェに通っているという事実を先に開示してから付き合った人はほぼいません。
大体は「多少オタクなんだよね〜」くらいに濁して話してた相手と付き合ってきました。
ですが、今は身も心もメイドカフェオタクではなくなりつつあるコジコジです。
恋愛のチャンスは以前に比べて大きく開けたのではないでしょうか?
今までメイドカフェに通うことで費やしてきた時間を、今度は愛する彼女のために使うタイミングが来たのです。
そんな2020年新しく生まれ変わったコジコジ、彼女募集中です!
少しでもいいなと思った方はDM待ってます。
大人になってからの趣味
こんにちは、コジコジです。
二日連続のブログです。
そうです、暇なんです。
今日も学校行って教室で一人で授業を受けてます。(寝てます。)
卒業するために限りある大切な時間を使って授業に行って結局寝るって本末転倒だと思います。
でも最終学歴って色んなことの言い訳になると思うんで、僕は何留しても卒業します。
順調に行けばそろそろ社会人になる訳ですが、大人になってからの趣味ってめちゃくちゃ難しいと思ってます、最近。
僕の今の趣味と言えば、記憶がなくなるまで酒を飲むことくらいなんですが、これって社会に出たら圧倒的に持ち込むべきではない趣味なんですよね。
せいぜい金曜の夜か土曜の夜にバカ飲みするならいいんですけど、記憶なくなるまで飲むと基本的に次の日は二日酔いで潰れるので、今みたいに毎日暇な身分ならいいのですが、社会人になってからの休日を二日酔いで終えるのはかなりもったいない気がしてしまいます。
じゃあ僕は社会人になってから、休日は何をすればいいんでしょうか?
最近、PSVITAでプロ野球スピリッツ2019を毎日やってます。
普通に楽しいんですけど、別にゲームは趣味にはできないなぁと思います。
なぜなら僕目が悪いんで、趣味の域に入るまでゲームをやり込むと、目が痛くなっちゃうんですよ。
なので却下です、暇つぶしくらいにはなりますが。
でもずっとゲームやってて目が痛くならない人は、社会人になってからのゲームって結構いい趣味になると思います。
ゲームの世界に没頭しても何も生み出さないみたいに言う人がいますが、所詮趣味なんて世間に何も還元することはないので、どんな趣味であろうとゲームであろうと世間体を無視して好きにやればいいと思います。
まあ、なんか趣味がゲームってオタクっぽくて気持ち悪いですけどね(笑)
この前知り合った友達はスポーツ観戦が趣味だと言っていました。
あー確かに、スポーツ観戦はいいなぁと思いました。
じゃあ何のスポーツを観ようかな。
僕は野球が好きなので、毎週末は野球観戦に行く、これいいですね。
安上がりだしなんかそれっぽいし何より野球を観るのは楽しい。
有力候補です。
マイカーを持ってる友達はドライブが趣味だと言っていました。
あとお金貯めて中古でイケてる車を買うのも趣味だと言ってました。
いいっすね〜、車。
まあ僕はこの先免許をとる予定がないんでこれも却下です。
というか、そもそも22歳の男が免許持ってないってどういうことやねんって感じですよね。
現在映画館でバイトをしているので、趣味映画鑑賞というのも安直な選択肢として挙げられます。
でも、個人的に映画鑑賞が趣味って本当に安直すぎてイマイチなんですよね。
別に全然映画は好きなんですけど、わざわざ趣味として公言するほどでは…という感じがします。
見たい作品があったら見ますが、趣味っていうにはやっぱり名画座とかに通って名作に触れていたり、週に何本も映画見てないと行けない気がして、いやそこまで好きじゃないわ、という気持ちになります。
いや全然僕はいいと思いますよ、映画鑑賞が趣味って。
この前話した弁護士の先生は、茶道とか書道とか歌舞伎とか相撲が趣味って言ってました。
あーこれは全く方向性が違いますね。
興味が微塵もありません。
興味がないことを無理に趣味にするのが1番愚かです。
あれやこれや話してきましたが、やっぱりメイドカフェがナンバーワンです。
あれは最高の趣味ですね。
もはや趣味の域超えて実生活と一体化してしまいそうです。
大人になってからの趣味問題、学生の皆さんは1度考えてみてはいかがでしょうか?
生き方に迷いがある人のためのブログ
こんにちは、コジコジです。
暇なのでブログを書こうと思ったんですが、僕のしょうもない身の上話をしても、わざわざここまで見に来てくれた読者の皆さんに何の還元もできないなと思ったので、今回は自己啓発的なブログを書いてみようと思います。
少しでもメンヘラ(笑)の皆さんの心が快方に向かってくれたら幸いです。
肝心のテーマについてですが、タイトルにもある通り、自分らしい生き方について僕なりの考え方を書きます。
それではどうぞ。
- 自分らしさ最優先スタイル
はい、なんかぬめっとはじまりました。
考えてみれば僕っていっつもブログで自分らしさとは何かについて語ってる気がします。
結局のところ、人生の一番の課題って、どう金持ちになるかとか、どう幸せになるかよりも、どう自分らしく生きれるかだと僕は思うんですよね。
多分この考え方ってめっちゃポジティブだし現実を見てない系なので、一部のリアリストからは否定されてしまうと思うんですけど、実際毎日お金のこととか幸せの定義とか考えてるよりは、どうやったら自分らしく生きれるんだろうって考えてるほうが楽しいと思うんです。
現実的な話はその先にあって、まずはアホみたいに自分らしく生きることについて考えてみませんか?
- 自分らしい人生とは?
結局のところ、人生でどんなに後悔の残る選択をしようが、自分で決めた以上は自分らしい選択ができたと言えます。
自分らしく生きることとはなんぞやというでかい命題を掲げた割に、結局どんな選択をしようとも、自分で決めた以上は自分らしい選択、自分らしい生き方である、と結論付けてしまいました。
もっと哲学的な議論の飛躍を期待した読者の皆さんはこの結論付けに対してがっかりしたでしょう。
そんなのシランがな!
- どっちの選択が自分らしい選択なの~?
どんな選択をしようが自分らしい選択といえる論に対しては、じゃあ二つの道で迷ったとき、どちらを選択すればいいの?と思う人がいるでしょう。
タイトルのように生き方に迷いがある人です。
ここで迷った時の判断基準に、お金やら幸せやらを絡めてしまうと、どちらの選択肢にも一長一短が見えてしまい、悩むことになります。
僕が人生において、お金や幸せよりも自分らしさを先に考える理由はここにあります。
お金や幸せって周りから見て割と現実的な尺度で図ることができます。
なのでその明らかに目に見える尺度に取りつかれ、自分の選択に迷いが生じてしまいます。
でも、僕の思う自分らしさ優先論では、そのようなしがらみにより選択に迷うことはありません。
どちらを選択しようとも、結局は自分の選択なので、自分らしい生き方ができてることになり、万事オッケーだからです。
- 結局のところ、、、
どっちをの道を選択しようとも、自分の出した選択だから正解!だから迷わず直感で決めよう!というのが僕の考えです。
なんか文章にしたらとてつもなくポジティブでアホらしくなりましたね、まあアホなんでいいです。
やっぱり思うのは、どっちの道に行こうか迷ってるくらいなら、どっちの道に行こうが大した違いはないということです。
心のどこかでどちらかに傾いてるならば、迷わずそっちの道に行けばいいですが、ほんとにどちらにも魅力を感じて迷ってるときは、もうノリで決めちゃっていいと思います。
あなたを迷わせてるくらいどちらも素晴らしい選択肢だろうし、どっちに行こうがあなたらしさは変わらないのですから。
- 選択を正解に
迷いに踏ん切りをつけ、どちらかを選択すれば、もうこっちのもんです。
あなたがそこでした選択はあなたらしさの一部になります。
それからは周りに惑わされるのではなく、周りを自分の色で染めるのです。
それが自分らしく生きることだと僕は考えます。
終了~~
おばあちゃんが死んじゃった。 前編
こんにちは、コジコジです。
電車で僕の隣に人がなかなか座らないのは、僕がでかいからか、それとも気持ち悪いからか。
誰か教えてください、ベストアンサーにはアマギフ1500円くらいプレゼントします。
今回は祖母の死についてブログを書こうかなと思ったんですが、祖母の死についての話とそれから思ったことの話を同じブログに書いたら、いつも以上に長くなってしまいそうなので、前編と後編に分けることにします。
前編は事実周りの話で、後編はそれから感じたことについてまとめます。
1週間ほど前、祖母は亡くなりました。
祖母は僕にとって本当に親くらいに近い存在でした。
僕と父と母と妹は実家の2階に、祖母は1階に暮らしており、完全な2世帯住宅でしたが産まれた時からずっと同じ屋根の下暮らしていました。
なので暮らしのサイクルは別でもほぼ毎日玄関前で顔を合わせる感じです。
小さい頃から親に怒られるとすぐ1階にいる祖母のところに慰めに行ってもらってました。
結果的には90歳で亡くなったのですが、今年の7月の祖母の誕生日会ではまだピンピンで、1人で遠出するくらい元気でした。
その誕生日会以降少しずつ体調が悪くなっていき、その後入院して3日ほどで亡くなりました。
死ぬ間際まで相当元気だったので、言ってしまえば介護等周りに迷惑をそこまでかけずにぽっくり死んだ感じです。
前にツイートしましたが、亡くなった日は21時くらいまで僕は目黒でヘラヘラ酒を飲んでいて、親から「おばあちゃんが危篤だからすぐ病院に来て!!」とLINEが来たのですぐ飛び帰りましたが、僕が着いて5分くらいで祖母は亡くなりました。
僕が病室に入って名前を呼んだら、待ってくれていたかのようにすぐ亡くなったので、まるでドラマみたいな感じでした。
祖母は子供や孫みんなに見送られて亡くなったので、まあめちゃくちゃ幸せな最後だったと思います。
目の前で人が死ぬ、しかもずっと一緒に暮らしてきた人が死ぬ、という経験は人生で初めてだったので、それなりにショックでした。
喪失感という言葉の意味を初めて知った気がします。
あと、めちゃくちゃ酔っ払っていたので、祖母が亡くなってすぐはウワンウワン泣いてしまいました。
多分今後も酔っ払った時は泣き上戸になってしまう気がします、泣いてたら察してください。
祖母が亡くなって葬式含め様々な手続きがなされ、やっと今日あたり落ち着いてきたかな、という感じです。
祖母の死に伴い、親戚がたくさん我が家に来て、家族を持つということはこういうことなんだなぁと感じました。
周りのおじさん達には「次親戚が会するのはお前が結婚した時だな!ガハハ」みたいに言われ、めちゃくちゃにプレッシャーを感じています。
また、今まで2世帯住宅で1階に暮らしていた祖母が亡くなったので、我が家の1階が丸々空きテナントになってしまいました。
僕と父と母と妹は2階のスペースで十分なので、たぶん、次ここに住むのは僕と僕のお嫁さんなのかなとか思ったりしています。
「結婚して1階に住むならリフォームするか建て直すか」とみんな言っていたので周りも期待しているでしょう。
僕は人生について真面目に考えなくちゃ〜と思い始めました。
後編に続く
将来の夢は何ですか?
こんにちは、コジコジです。
公共の場でイチャイチャするカップルの神経の図太さを見習いたい今日この頃です。
突然ですが、あなたの将来の夢は何ですか?
誰でも小学生の頃腐るほどこの類の質問をされたと思います。
僕みたいな何者でもないのに何かの答えを見つけようと日々模索している大人は、大概幼少期に浴びせられたこの質問にガキンチョながら狼狽したでしょう。
素直な子供はこの質問に大して狼狽することなく、宇宙飛行士やアイドル、コックさんや花屋さんなど、わかりやすい正解をすぐに出して寝ます。
でも、ひねくれた子供は「将来の夢は何ですか?」という質問に、得体の知れない違和感を感じながら、このままでは埒が明かないので適当な答えを出してその場を切り抜けます。
僕も子供ながらにこの質問の答えを考えようとすると自分がわからなくなる感覚に陥る気がして、適当なところで考えるのをやめて、コックさんになりたいと言っていました。
今考えると「将来の夢は何ですか?」という質問に対して、具体的な職業を答えることが当たり前になっていることにそもそも違和感を覚えます。
本来なら、どういう人間になりたいかを答える場であり、なりたい職業を答えるべきではないはずです。
結局のところ、この質問で少年少女たちに植え付けられるのは、「将来の自分の姿はその時就いている職業により客観的に評価される」という呪いです。
自分自身の個性ではなく就いている仕事により自分を評価されるという幼少期に植え付けられた呪いは、就活期を迎える大学生になっても解けることはありません。
世の中を見渡したら、幼い頃半ば強要されたユニークかつその職業になるだけで個性を見出すことができる職業はほんの一部しかなく、大概はただの会社員になることに気づきます。
でも、幼少期にかけられた呪いにより、職業と自分自身の個性の間で軋轢が生じ、個性を捨て会社員になるという選択肢を取ります。
この「個性を捨てサラリーマンになる」という文言こそ、この呪いの本質なのです。
「将来の職業=将来の自分」という価値観に支配された人々は、サラリーマンという多くの人が当たり前のように就く職業に対し、個性の喪失を感じます。
しかし、本当は違うのです。
職業はその人の個性を決めることはありません。
たとえお笑い芸人という客観的にみて個性的な仕事をしていたとしても、その人の個性が会社員より優れていると判断することはできません。
幼少期に将来の夢を聞かれた時ならば、お笑い芸人と答えた方が、会社員と答えるよりユニークで個性のある人間と思われるでしょう。
しかし、本当に大切なのは、どんな仕事に就こうと、自分自身がそこでどう自分らしさを発揮するかなのです。
そういう意味で、「将来の夢は何ですか?」という質問に対して当たり前のようになりたい職業を答える風潮は、職業により個性が判断されるという幻想を子供たちに植え付けることになり、ゆくゆくは就活期における自己の喪失を招くでしょう。
ちなみに今僕は二郎インスパイアの店を出店したい。