将来の夢は何ですか?

こんにちは、コジコジです。

公共の場でイチャイチャするカップルの神経の図太さを見習いたい今日この頃です。

 

突然ですが、あなたの将来の夢は何ですか?

誰でも小学生の頃腐るほどこの類の質問をされたと思います。

僕みたいな何者でもないのに何かの答えを見つけようと日々模索している大人は、大概幼少期に浴びせられたこの質問にガキンチョながら狼狽したでしょう。

素直な子供はこの質問に大して狼狽することなく、宇宙飛行士やアイドル、コックさんや花屋さんなど、わかりやすい正解をすぐに出して寝ます。

でも、ひねくれた子供は「将来の夢は何ですか?」という質問に、得体の知れない違和感を感じながら、このままでは埒が明かないので適当な答えを出してその場を切り抜けます。

僕も子供ながらにこの質問の答えを考えようとすると自分がわからなくなる感覚に陥る気がして、適当なところで考えるのをやめて、コックさんになりたいと言っていました。

 

今考えると「将来の夢は何ですか?」という質問に対して、具体的な職業を答えることが当たり前になっていることにそもそも違和感を覚えます。

本来なら、どういう人間になりたいかを答える場であり、なりたい職業を答えるべきではないはずです。

結局のところ、この質問で少年少女たちに植え付けられるのは、「将来の自分の姿はその時就いている職業により客観的に評価される」という呪いです。

自分自身の個性ではなく就いている仕事により自分を評価されるという幼少期に植え付けられた呪いは、就活期を迎える大学生になっても解けることはありません。

世の中を見渡したら、幼い頃半ば強要されたユニークかつその職業になるだけで個性を見出すことができる職業はほんの一部しかなく、大概はただの会社員になることに気づきます。

でも、幼少期にかけられた呪いにより、職業と自分自身の個性の間で軋轢が生じ、個性を捨て会社員になるという選択肢を取ります。

この「個性を捨てサラリーマンになる」という文言こそ、この呪いの本質なのです。

「将来の職業=将来の自分」という価値観に支配された人々は、サラリーマンという多くの人が当たり前のように就く職業に対し、個性の喪失を感じます。

 

しかし、本当は違うのです。

職業はその人の個性を決めることはありません。

たとえお笑い芸人という客観的にみて個性的な仕事をしていたとしても、その人の個性が会社員より優れていると判断することはできません。

幼少期に将来の夢を聞かれた時ならば、お笑い芸人と答えた方が、会社員と答えるよりユニークで個性のある人間と思われるでしょう。

しかし、本当に大切なのは、どんな仕事に就こうと、自分自身がそこでどう自分らしさを発揮するかなのです。

そういう意味で、「将来の夢は何ですか?」という質問に対して当たり前のようになりたい職業を答える風潮は、職業により個性が判断されるという幻想を子供たちに植え付けることになり、ゆくゆくは就活期における自己の喪失を招くでしょう。

 

ちなみに今僕は二郎インスパイアの店を出店したい。